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3491 秘密クラブの元調教師 Gさん 意を決して、私の生い立ちについて話します
3461 秘密クラブの元調教師 Gさん 若き日の思い出 全盲の娼婦の世話をしたことがあります
の続き。
Gさんからいただきました。
Gさんの若き日の告白です。
2018/8/31 若き日の思い出
間久津様
昨今の不安定なる気候に身体を労り、事業、サイト運営に頑張って下さい。
Gです。
今回は、私が裏街道の闇に入りし異端の道を進んだ要因は、私本人だけではなく育ちし義父母の摩訶不思議なる家族構成が原因だったこと。
それが最近知り得た情報によりまして過去の不思議なる出来事が氷解しました。
真実を隠すか描くか迷いましたが、意を決して戯言を投稿致します。
妄想、愚弄かは読者のご判断にお任せ致します。
私の家族は摩訶不思議なる家族構成でした。
義母の連れ子の妹と叔母、養女2名、実子2名です。
夜は、実子は叔母と別宅へ。
私は食事する部屋で、他は6畳にて夫婦、連れ子、養女と寝ておりました。
私が集団就職でそこを離れると同時に、襖を取り払い改装、壁を厚くして浴室を増築したそうです。
実子は寝るのは別宅でしたが、叔母との生活は相変わらず。
私が集団就職を3年で辞めてから義父母の元にて帰りました。
その当時は、養女も連れ子も家を離れて住み込みで就職していました。
不思議なのは、週一回は別々に帰宅し、食事以外は部屋で義父夫婦と籠っておりました。
偶に押し潰す様な声と金属音がしました。
その時に限り叔母の別宅にて泊まる事を強制されました。
疑問に思って忍び足で家の周りを徘徊した時に聞こえたのです。
不審感は募り、そのことを叔母に聞くと、叔母は烈火の様に怒りながらも身体は震えており最後は号泣致しました。
益々疑心暗鬼になり追及すると嗚咽を漏らしながら、
・義父の性癖を満たすために、私が家を離れた3年前の時より夫婦に異端なる行為を受けていること。
・義母は若い時は看護師だったそうで、医師からマゾに仕込まれていて当時は被虐に悶え義父と結婚後はマゾとして仕えていたこと。
・それに養女、実子が加わり今度は加虐に目覚めて両方共に熟すと積極的に参加して楽しんでいたこと。
それを告白しました。
何と驚くことに、叔母(60代)も義父の被虐性奴隷として30代より仕込まれていて、年と共に肛門専門として今でも偶に受け入れいるとのこと。
それには唖然茫然自失となりました。
魅魍魎の世界、猥褻なる相姦絵図には言葉も出ませんでした。
私は、義父は怖くて話もしないし気に入らなければ暴力をふるうような人でした。
一度、夫婦で旅行していて留守の時に、義父の部屋の鍵を叔母に借りて忍び込んでみました。
タンスには各種の縄や大小の性具、本棚にはアルバムや淫靡なる雑誌書籍等整然と並べられていました。
アルバムには、名前と年月日年齢事に養女や連れ子の写真が貼られておりました。
年齢の項には全身写真と両孔を広げて写し幼き日は義母が両手広げておりました。
35年前に一度投稿SM雑誌に親子奴隷と掲載されておりました。
ボカシが入れてありましたが、二人とも裸体に縛られ膣に肛門に性具が突き刺さり痴態をさらしておりました。
その後慌てて回収したと聞いた覚えがおりますが、分かりません。
私は当時は組織の末端におり、幹部に見せて頂きました。
目線は入れてありましたが、体系と特徴で本物と確信した事思い出します。
その後は吹っ切れたのか、叔母は、淡々と話をしてくれました。
戦前から義父の性の捌け口にされていたそうです。
義父は、精力絶倫にて陰茎も太く、叔母は苦痛なのにお尻にも挿入されて血まみれで失神したそうです。
(後編に続く)
......
......
Gさんからいただきました。
Gさんの告白。
裏社会で生きるようになったのは、Gさんの育ちにあったようです。
続きが気になりますが、それはまた次週をお楽しみに。
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